創業~疎開
1914年(大正3年)、村端与三松によって東京市小石川区八千代町37番地6(現・文京区白山)に加賀屋果物店として創業致しました。その後、起こる第二次世界大戦による被災の為、東京店舗の閉店を余儀なくされ石川県金沢市に疎開しました。
疎開~事業再開
戦後復興の渦中であった1946年(昭和21年)、石川県金沢市近江町市場にて村端果物店として事業再開を果たします。
ブランド化に着手
昭和30年代に入ると経済成長に伴い豊かになっていく市場から、顧客ニーズは専門店の時代になってくると捉え高級フルーツ販売に力を注いでいきます。同時に、その当時では珍しい自社包装紙の開発などブランド化を図り専門店としての認知度向上に努めました。
バナナ店/籠盛店/業務用卸部開業
昭和40年代に入ると経済成長著しい市場に合わせ、近江町市場内にバナナ専門店、冠婚葬祭が大衆化されていくにつれて需要の伸びに応えるべく籠盛店を開業していきます。同時に料亭や旅館の厨房でのフルーツ需要も増えていった時代でした。またその頃、洋菓子業界でもひとつの変革の時代を迎えていました。バタークリームから生クリームが主役になってきたのです。生クリームと生のフルーツとの組合せが好評を得てフルーツの需要が増えていったのもこの時代でした。以降、フルーツやフルーツギフトは日本人のライフスタイルに無くてはならないものになってくるであろうと考え、高品質の選果システムの構築、ラッピングへのこだわり等を追求してきました。
沿革
創業(大正3年) | 村端与三松、東京都文京区白山にて加賀屋果物店を創業 |
---|---|
昭和19年11月 | 被災の為閉店、金沢に疎開 |
昭和21年2月 | 二代目村端幸吉 金沢市近江町市場に村端果物店として再開 |
昭和42年6月 | バナナ店を近江町市場内に出店、バナナ専門の卸、小売を営業 |
昭和46年9月 | 冠婚葬祭かご盛店を武蔵町13-28に出店、結婚式場専門にかご盛の卸業務を計る |
昭和53年5月 | 株式会社フルーツむらはたに改組 三代目村端儀一 代表取締役に就任 |
昭和58年4月 | 本店第一ビル・第二ビル完成、業務用卸部を本店第二ビル内に併合 |
昭和63年9月 | 石川郡野々市町(現 野々市市)新庄にかご盛工場(600坪)を建設 |
昭和63年12月 | 金沢市下近江町26番地(近江町市場内)に自社ビルを取得、近江町店をオープン |
平成14年4月 | フルーツパーラーリニューアルオープン |
平成18年9月 | タイ王国にて関連会社MURAHATA(THAILAND)CO.,LTD.設立 |
平成18年12月 | バンコク市内のショッピングモールCENTRALWORLDに FRUITS PARLOR MURAHATAをオープン |
平成19年8月 | 近江町店を閉店 |
平成20年4月 | 四代目村端一男 代表取締役社長に就任 |
平成22年3月 | バンコク店閉鎖 |
平成24年10月 | 富山営業所(物流拠点)開設 |
平成26年8月 | タイ王国にて関連会社MURAHATA FRUIT CO., LTD.設立 |
平成26年9月 | 富山営業所を富山県富山市秋吉に移転し、富山店としてオープン |
平成26年12月 | 築地市場(現・豊洲市場)青果物売買参加権取得(番号5061) |
平成27年3月 | MURAHATA (THAILAND) CO., LTD解散手続き完了 |
平成27年9月 | 東京営業所開設 |
平成27年11月 | 大和富山店にフルーツパーラーをオープン |
平成28年12月 | 東京営業所を東京都大田区東海に移転 |
平成29年5月 | 大田市場青果物売買参加権取得(番号7055) |
平成29年12月 | 資本金を3,000万円に増資 |
平成30年4月 | タイ王国にて関連会社 MURAHATA FRUITS PARLOR CO., LTD. 設立 |
令和2年3月 | MURAHATA FRUITS PARLOR CO., LTD。解散手続き完了。 今後の業務はMURAHATA FRUIT CO., LTD. に引き継ぐ。 |
令和2年6月 | 本店フルーツパーラーをリニューアルオープン |
令和2年6月 | 金澤パフェむらはた ひがし茶屋街店をオープン |
令和3年3月 | パフェの移動販売車「パフェカー」の導入 |
令和3年8月 | 金澤パフェむらはた パフェカー零号店を香林坊大和地下1階にオープン |
令和4年8月 | 富山営業所閉鎖 |
令和5年4月 | フルーツパーラーむらはた Cafe & Restaurant Node店をオープン |
令和6年4月 | プラスパフェ かほっくる店をオープン |